2022.05.10 ZEBRAS

大切な人とのステキなお別れを全ての人に。オーストラリアのゼブラ葬儀社「Potter’s Field Funerals」


大切な人とのステキなお別れを全ての人に。オーストラリアのゼブラ葬儀社「Potter’s Field Funerals」のイメージ

高額なことが多い「葬儀」

「お葬式」は多くの人にとって人生最後のイベント。特に健康に問題もなく高齢でもなければあまり考える機会もないでしょうが、あなたはどんな送り方をされたいでしょうか?

特に信心深くなければ、「別に簡単でいいよ」という人も多いでしょう。でも大切な人を失くして主催者側になれば、最後にしてあげられることを全てしてあげたいと思うのが人情だったり。そもそも葬儀は残された人のためという側面も大きかったりして、「簡単なお葬式」はなかなか難しいのが実情です。

データや地方によりばらつきがありますが、現代の日本のお葬式の費用は150万円から200万円あたりが相場のようです。大切な人を失った喪失感で心身に大きな負担がかかっているところに追い打ちをかけるように、この出費、そして煩雑な取り決めや手続き。かなり痛いと思うのは貧乏性の筆者だけでしょうか。

この「冠婚葬祭お金かかりすぎ問題」は、比較的世界のあちこちで見られるようです。

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オーストラリアのゼブラ葬儀社「Potter’s Field Funerals

そんな葬儀業界に風穴を開けようとしているのが、オーストラリアのPotter’s Field Funerals社です。同社は、習慣や伝統で定式化していた葬儀のフォーマットを打ち壊し、リーズナブルで本人と家族の希望に沿った「お別れの瞬間」をプロデュースするゼブラ葬儀社。

「葬儀の提供は商売ではなく、地域社会への貢献」「得ることと与えることを同時に叶える」を信条とし、「全ての人に威厳ある、質の高いお別れを提供すること」をミッションにビジネスを進めています。

具体的には、第一にリーズナブルな料金で、安心して任せられる葬儀サービスを、最高のホスピタリティとともに提供すること。

特に同社は、「愛する人の死を悼みながら葬儀の計画を立てるのは、誰にとっても大変なこと」という前提に立ち、葬儀の計画者にとって最も大きな不安要素である「hidden charges(パッケージ料金には載っていない、または後から追加されるなどして、結果的に上乗せされる料金のこと)」を一切請求しない、明朗でシンプルな会計、そして煩雑な取り決めや手続きを必要としない計画プロセスをモットーとしています。

明朗会計はありがたい(画像:Pexels)

第二に、同社は利益の50%を経済的に厳しい家族に葬儀を提供する団体「Bereavement Assistance Ltd」に寄付し、同社のリーズナブルな葬儀を手配するお金さえない人であろうと大切な人に尊厳あるお別れの時を持てるように貢献しています。

「葬儀の手配を弊社にお任せいただくことで、あなたと同じように大切な人を失くした誰かをサポートできます」なんて、深い悲しみの中でも少し心が温かくなるシステムではないでしょうか。

サステイナブルな「グリーン葬儀」など同社の葬儀メニュー

同社が提供する葬儀のフォーマットは幅広く、具体的には4種類に大別できます。

1.「伝統的な」葬儀

移民の国オーストラリアでは、「伝統的」の定義はその家族や個人によってさまざまです。同社は「生誕、結婚、死の3つの瞬間は、もっとも家族や祖先の文化や伝統が重要になる時です」とし、葬儀にはその人の家族の伝統や文化が反映されるべきという信条を持っています。

「伝統的な」葬儀は、どんな人種・宗教・背景であってもそれに則った葬儀を提供するサービス。移民の場合は遺体を本国に送還したり、退役軍人や元警官などのための葬儀など、故人と家族の希望に沿った内容で提供されます。

2.「現代的な」葬儀

同社は、「大切な人とのお別れの瞬間は、旧来の形式に則って進めるのが癒しとなる場合もあれば、そうでない場合もあります」「あなたの失った大切な人が他の誰とも違ったように、葬儀もユニークなものであってもいいのです」と、旧来の形式にとらわれずに個人と家族の希望を最大限実現した葬儀を推奨しています。

「現代的な」葬儀では、ビーチ、公園、パブ、自宅などあらゆる場所で、音楽や故人をしのぶアートワークなども組み込んだセレモニーが提供されます。

3.「エコ&グリーン葬儀」

火葬を基本とする国で育った日本人としては考えたこともありませんでしたが、伝統的に土葬の選択肢もある国では、現在火葬と土葬のどちらが環境にやさしいかを気にかける人が増えているとのこと。

火葬は一度で平均的な家庭の一か月分のエネルギーを使うし、かといって伝統的な棺での土葬は、墓地確保のための森林伐採が問題になっている以外にも、土に還る過程で流出・発生する化学物質によるフットプリントが無視できないそうです。

同社の「エコ&グリーン葬儀」では、専用の森林公園への埋葬に生分解性の高い環境にやさしい棺を用意する他、土壌汚染の原因となる防腐剤も使用しません。植樹のオプションも充実していて、墓石の代わりに目印となる木を植えるセレモニーもでき、亡くなった後もフットプリント相殺にずっと一役買うことができます。

生前に環境への影響を気にかけ、せっせと資源をリサイクルしていた故人などは喜んでくれるのではないでしょうか。

グリーンな方法で自然に還る(画像:Potter’s Field Funerals社公式サイトより)

4.「事前プランニング葬儀」

このオプションには2つの「事前」があります。

一つは、事前に葬儀プランなどを決め、自分の葬儀の内容を好みで選べること。自分のお葬式なのだから、自分で内容を決めたいという人にピッタリで、取り決めた詳細はご本人が亡くなるまで無期限で同社に保存してもらえます。面倒な取り決めなしに故人が喜んでくれる葬儀の準備を自動的に進めてもらえるのは、家族にとっても救いになるのではないでしょうか。

二つ目は、生前に自分のお葬式の清算を済ませられること。自分の死後、家族に負担をかけずに安心して見送ってもらえます。分割払いも可能ですが、万が一同社が倒産した場合は他の葬儀社に依頼できるよう、外部の金融機関での積み立てとなるそうです。

同社が改定をサポートするお葬式に関する「法律」

一方で同社はもう一つのミッションとして、オーストラリアでたびたび問題となる葬儀に関する法律の改正も支持しています。

オーストラリアの現法は19世紀の英国法を基本としており、多文化を前提としていません。かつその法律では、死者は一切の権限も財産も持ちません。葬儀や埋葬に関しての決定を持っているのは、法的に定められた遺言執行者のみであり、もしも故人がそれらに関して何らかの遺言を残していてもそれに法的な拘束力は一切ありません。そして同国ではいまだ教会での葬儀が多数派です。

それが問題となるケースが最も多いのが、先住民族アボリジニにルーツを持つ人の葬儀です。アボリジニには樹木葬の伝統があり、それは彼らにとって魂を母なる大地に還すとても大切な儀式だといいます。

現代において、例えば他の宗教を持つ人と結婚していた場合や、伝統をよく知らない人が葬儀の手配をすることになった場合などに、アボリジニ系の故人の遺志が尊重されない葬儀となって問題になることがままあるそう。ここ30年間で50近くの葬儀をめぐる訴訟があり、その約半数はアボリジニ系の人が原告だったとのことです。

また、自身のジェンダーアイデンティティや性的志向との不一致で伝統的な信仰を捨てていた人が亡くなった後に、残された家族がその宗教に則った葬儀(しばしばその場で本人が生前に信仰を捨てたことが弾劾される)を行い、本人の信条に理解の深かった関係者が胸を痛めるといったケースも。

生前に捨てた宗教で説教されながら送られることを想像すると、確かに心が痛い(画像:Pexels

同社はこういった悲しい葬儀をなくすために、「伝統的」葬儀や事前計画葬のサービスを充実させるとともに、拠点であるビクトリア州の法律の改定をサポートし、すべての人が本人の望み通りの形で送ってもらえる未来を目指しています。

筆者が体験したオランダでの葬儀での一幕

本題とは離れますが、オランダで暮らしている私が体験し、ちょっと考えさせられた葬儀での一幕をシェアしたいと思います。

数年前に義兄が40歳の若さで事故で亡くなりました。もちろん義父母の混乱と悲しみは例えようもなく、お別れのセレモニーを行った会場にはそんな彼らを慰めようと大勢の友人が詰めかけ、部屋に入れない人も出始めました。

すると葬儀社の人が「部屋に入れない人のためにセレモニーを部屋の外のスクリーンに中継することもできますが、どうしますか」。義母は涙にくれながらも「おいくら?」と尋ね、「500ユーロ(約66,000円)」の返答を「たっか。いらない」とバッサリ切りました。

いかにもオランダ人らしいやり取りに不謹慎にもちょっと可笑しかったりしたのですが、後で義母に理由を聞くと「会場に入れなくても、わざわざ来てくれたんだから私たちはそれで充分だし、彼らだって会場外でコーヒー飲みながら他の人と『びっくりしたね』って話すだけで気持ちが落ち着くでしょ。500ユーロなんてかけるだけ無駄」とバッサリ。遺灰は義兄が大好きだった森に散骨しました。

お葬式とは誰のためにするのか。どんな内容が残された人をいちばん癒してくれるのか。自分はどんな風に送られたいのか。死後も社会や自然環境に貢献できる選択肢はあるのか。Potter’s Field Funerals社も言う通り、「多くの人が伝統的な宗教観から自由になってきている」時代だからこそ、少し考えてみてもいいかもしれません。

文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)http://livit.media/

PROFILE

ウルセム幸子

3児の母、元学校勤務心理士。出産を機に幸福感の高い国民の作り方を探るため、夫の故郷オランダに移住。現在執筆、翻訳、日本語教育など言語系オールラウンダーとして奔走中。