2024.03.01 ZEBRAS

政治学者 宇野重規さんに聞く。民主主義とゼブラに共通する「社会の変え方」


政治学者 宇野重規さんに聞く。民主主義とゼブラに共通する「社会の変え方」のイメージ

Zebras and Company(以下、Z&C)は、社会性と経済性を両立させるゼブラ企業の在り方についての理論化を進めています。その一環として、さまざまな領域の専門家を招き、「ゼブラとはなにか?」を客観的に語っていただく連載コラムをスタートしました。

第2回目の今回、お話を伺ったのは、東京大学社会科学研究所の教授で政治思想史・政治哲学の専門家、「宇野重規(しげき)さん」です。

宇野先生は、著書『民主主義のつくり方』(2013年、筑摩書房)にて、社会起業家の存在が「新しい民主主義なのかもしれない」と書かれています。その真意を伺いながら、ゼブラと民主主義の関係性、ゼブラムーブメントによる社会の変え方を紐解きます。聞き手は、Z&Cの社外取締役で株式会社「陽と人」代表の小林味愛さんです。

民主主義の新しい手段としてのゼブラ

小林さん:はじめに、宇野先生が著書の『民主主義のつくり方』のなかで、病児保育事業を行う認定NPO法人の例をあげ、「社会起業家の活動も、民主主義と言えるのではないか」と述べられた背景から伺いたいと思います。宇野先生の考える民主主義は、政治や選挙以外のことも指しているのでしょうか?

宇野先生:そうですね。本を書いた2013年以前は、民主主義は「選挙に行って投票することで、社会課題を解決していくこと」だと思われていました。しかし、それでは社会を変えるのにあまりにも時間がかかってしまいます。他の方法で社会課題を解決できないか、と考えたのがあの本の出発点です。

宇野重規さん

宇野先生:先ほどのNPOの例を挙げるなら、彼らは、病児保育という企業の採算に見合わず病院や国も取り組まない「間に落ちていた課題」を解決するモデルを自ら作りました。また他の例として、「島留学」などの最先端なビジョンを掲げ、衰退しかけていた地域を復活させた島根県海士町の活動もあります。

どちらの事例も、自分たちが直面する社会課題の解決策を、自分たちで考え、共感する人たちを集めて実行し、新しい社会モデルを生み出しました。この営みは民主主義に他ならないと思ったのです。10年前は希少な事例でしたが、そうした活動は徐々に広がり、今のゼブラムーブメントにつながっていると思います。

小林さん:自らの手で社会課題を解決する取り組みが広がった社会的背景には、なにがあったのでしょう。

宇野先生:特に大きかったのは2011年の震災ですね。強固な基盤だと思っていた社会システムの脆弱さを肌で感じ、自分たちで社会を作ろうとする機運が高まりました。そこで象徴的に出てきたのが、「SEALDs」をはじめとするデモ活動です。路上から政治に働きかけようという民主主義の在り方でした。

しかし、2015年頃をピークにデモ活動は完全に行き詰まります。政治への絶望から生まれた活動でしたが、結果としては「社会は変えられないし、下手に変えようとすると叩かれる」という社会的なシニシズムにもつながりました。

一方で、政治に対する「怖い」イメージも広がりました。SNS上の政治発言はよく炎上していますよね。学生たちに話を聞いても、なるべく政治に関わりたくないと言います。それでいて、既存のビジネス領域ではどうかというと、これも不完全。「企業の営利を追求した上で、CSRなどで社会貢献すればいい」という考えは物足りなく感じるようです。

シニシズムが広がるなかでも、やはり「自らの手で社会を良くしたい」という気持ちは、私たちの心に伏流水のように流れ続けていました。それが、デモでも政治でも企業のCSRでもない形として表現されたのが、社会起業であり、今のゼブラなのだと考えています。

プラグマティズムとゼブラに共通する「実験」の重要性

小林さん:政治以外の民主主義の手段を模索するなかで、広がってきたのが社会起業的な営みだと。では、そうした活動で社会の変革を目指すためには、どのような進め方が理想だと思いますか?

宇野先生:少し遠回りしてしまいますが、まずは、私の考える民主主義の根底にある思想「プラグマティズム」について話しておきたいと思います。プラグマティズムは日本語で「実用主義」「実際主義」と訳され、「物事の真理を、理念や信仰ではなく、行動の結果によって判断する思想」と捉えられています。

しかし、この思想が生まれた背景を見ると、本来のプラグマティズムが持つより深いメッセージが見えてくる。それが社会起業やゼブラにつながります。

小林さん:プラグマティズムの成り立ちにヒントがある、と。

小林味愛さん

宇野先生:プラグマティズムを提唱したのは、1860年代のアメリカの南北戦争で心身ともに傷ついた、若き哲学者たちでした。南北戦争では、大量破壊兵器がない時代にも関わらず、60万人もの死者が出ました。アメリカ人同士の「思想的・哲学的な正しさ」をぶつけ合い、尊い多くの命が失われたことを憂いた若き哲学者たちは、「戦争を起こすくらいなら、絶対的な正しさを主張しないほうがいい」と考えます。

しかし、正しさがわからないからと言って、行動できなくなってしまうのも良くない。その二者択一ではない考え方を求めてたどり着いたのが、「信じるものが正しいとは限らないが、それを自分の力が及ぶ範囲で実験する権利は、誰にでもある」という考え方でした。

生涯を通じて信じるものを実験し、その実験が成功すれば、その信念を仮に正しいとする。しかし、それが今後もずっと正しいものかはわからないから、謙虚に検証をし続けなければならない。さらに、自分も実験をする権利を行使するのだから、他の人の実験も受け入れ、ときには相手の信念に従うこともありうる。このように、謙虚さや不確実さ、他者への肯定まで含めた思想が、本来のプラグマティズムです。

小林さん:「結果がすべて、結果で正しさを決めよう」という単純な思想ではないわけですね。これがゼブラとどうつながるのでしょう?

宇野先生:社会を変えていくプロセスに、共通点が見出せます。

プラグマティズムは「実験」を繰り返すことで「習慣」が生まれると考えている。そして、「実験から生まれた良い習慣は、他者に真似されることで広がり、社会を変えていく」と説くのです。これが、社会起業やゼブラが目指す「社会の変え方」に重なるのではないでしょうか。

小林さん:まさに、ユニコーンのように一社の強大な影響力によって社会を変えるのではなく、さまざまなプレイヤーが相互作用を生みながら、社会を変えていく「群れ」としての在り方ですね。それぞれのゼブラ企業が、それぞれの実験を繰り返し、学び合うことが大切だと理解しました。

「守りたいもの」に寄り添うことから始めよう

小林さん:良い習慣を広げて社会を変えるには、一定の時間がかかるものだと思います。また、ゼブラ企業の特徴として、解決に時間がかかる課題に取り組むプレイヤーも多くいます。それが、既存の金融の仕組みから漏れてしまう理由にもなっているのですが、そうした在り方についてはどのように思われますか?

宇野先生:保守主義の思想に通ずるものを感じますね。今では色々なイメージが付いている「保守主義」ですが、もとを辿れば、フランス革命への批判から生まれた考え方です。人権などの抽象的な理念を掲げて、それまで構築してきた社会を白紙に戻すような、急進的な改革に対してブレーキをかけたものでした。

端的に言えば、保守主義の真髄は「守りたいものを守り、変えるべきものを変える」ことです。抽象的な理念や理想を振りかざすのではなく、歴史的に構築されたものを生かしつつ、時代に合わせて改良していく社会変革を良しとします。

小林さん:急激な変化によって壊れてしまうものへの懸念は、地域で活動しているなかで私自身も感じています。その地域に長く根付くものを残したり、活かしたりする方法を考えることが大切だと思います。

宇野先生:一見不合理でも、長く続いてきた伝統や習慣には、それなりの意味や理由があるはずです。それが論理的に理解できないからと言って、直ちに破壊すべきではありません。なぜなら、人間の理性や知性は不完全だからです。歴史を振り返っても、頭でっかちな「正しさ」を掲げた革命のほとんどは失敗しています。その反省をもとに、時間をかけて社会を変えていくことの大切さを、保守主義は教えてくれているのです。

小林さん:では、長い時間軸をかけて徐々に社会を変えていくために、プレイヤーとして意識すべきことはなんでしょうか?

宇野先生:抽象的な正しさからではなく、関わるステークホルダーの「守りたいもの」から議論を始めることが大切です。自分と同じように、他の人にも守りたいものがあることを理解し、尊重する。そこから議論を始めれば、お互いの守りたいものを一緒に守るための協力関係を育めると思います。

小林さん:地域での活動を例にあげれば、都会的な正しさを当てはめるのではなく、そこに住む人たちの守りたいものに思いを寄せることから始める。そして、守りたいものを一緒に守れる連携の範囲を広げていく。これがまさに、先ほどの習慣を広げる話や、民主主義的な社会の変え方の話につながりますね。

アソシエーションとしてのゼブラが、コミュニティの隙間を埋める

小林さん:プラグマティズムも保守主義も、自分の信念や守りたいもののために、実験をすることの大切さを説いてくれています。しかし、今の社会はそうした実験に不寛容なのではないかと思うこともあります。なにが原因だと思いますか?

宇野先生:たしかに日本は、他者の実験に優しくないです。特に会社組織は、自分たちと違うことをやる人を冷たい目で見たり、弾いたりするところがあります。これは日本的コミュニティの同質性の高さが原因です。その中にいると、居心地の良さや安心感が目的となり、なるべく組織に合わせようという力学が働きます。結果、イノベーションや変革、新しい考え方に対する抵抗が生まれるのだと思います。

小林さん:どうすればその状況は改善していくのでしょう。

宇野先生:コミュニティではなく「アソシエーション」を増やしていくことだと思います。アソシエーションとは、共通の目的を持つ人が集まる組織のこと。創設の目的を果たしたら、パッと解散するような、ある種のさっぱりとした関係性が特徴です。

そのアソシエーションの担い手こそがゼブラ企業なのでしょう。理念や守りたいものを共有する人たちが、ゼブラ企業に集う。その上で、コミュニティ化しないように、理念が合わなければ組織から出たり、他の組織に入ったりする流動性を持つ。そうした「アソシエーションとしてのゼブラ企業」を増やしていくことが、実験のしやすい社会につながると思います。

小林さん:アソシエーションとしてのゼブラ企業が増えれば、独自の価値観やオリジナリティをもつ集団が増えて、もっと楽しい社会になりそうですね。

宇野先生:これから、日本のコミュニティはどんどん衰退していきます。地域も、農家も、空き家も維持できなくなる。コミュニティでカバーできなくなった「隙間」をアソシエーションで埋めていかなければ、日本全体が衰退していくでしょう。

小林さん:そうした現状をなんとかしないといけないと思っています。私たちの世代もそうですし、今の若い世代に問われているものはなんだと思いますか?

宇野先生:まず強調したいのは、地方の衰退や人口減少の責任は、若い人たちにはないということです。彼らが解決する義務はありません。むしろ、社会的な圧力として「自分たちが支えなければ」と思わされすぎて、本当に自由な生き方を選べていない人もいるのではないか、と危惧しています。若い世代は、都心部や海外に出てもいいし、もっと自由に生きてほしいというのが私の本音です。

宇野先生:その上で、日本にまだ残されている可能性についても伝えたいと思います。先ほど話した通り、日本のコミュニティは衰退し、さまざまな「隙間」が生まれていきます。しかし、美しい自然や美味しい食べ物、温かい人間関係といった、日本の価値はまだ残っている。この価値を活かして、空いた隙間で勝手に増殖していくこともできるはずです。都市も海外もいいですが、地方にも自分の力を発揮できる場所はある、ということを知ってもらええればと思います。

小林さん:社会を背負う義務感ばかりではなく、自由意志や信念をもとに動ける人が増えるといいですね。その矛先が社会課題に向くのであれば、ゼブラの群れの仲間としてご一緒したいと思います。最後に今日の議論を踏まえて、改めて「ゼブラ」という在り方に対して思うことを教えてください。

宇野先生:社会起業やソーシャルビジネスと呼ばれる領域は、長らく「社会正義なら稼ぐべきじゃない」、もしくは「稼ぐなら営利と言えばいい」と、二者択一を押し付けられてきました。でも、歴史から見れば、どちらか一方に偏ったものが正解だったことはありません。

つまり、白でも黒でもない「しましま」であることが大切なんです。社会正義も利益も、どちらも求めたいのが人間ですし、その曖昧さが面白い。そんな「しましま」な人が増えたらいいなと思います。

PROFILE

Fumiaki Sato

編集者・ライター・ファシリテーター。「人と組織の変容」を専門領域として、インタビューの企画・執筆・編集、オウンドメディアの立ち上げ、社内報の作成、ワークショップの開催を行う。趣味はキャンプとサウナとお笑い。