2022.06.02 ZEBRAS
生物学者が元無職の若者と築いたゼブラ的な「森林活動総合商社」イギリス森林教育企業がもたらすインパクト
さまざまな森林活動を提供するゼブラ的なイギリスの森「Hill Holt Wood」
イギリス・リンカーン郊外に位置する広大な森Hill Holt Woodは、いわゆる「普通の」教育からドロップアウトした子どもや、無職の若者を森の中で教育・就労支援する「森の学校」ビジネスを中心に幅広い森林活動を提供する、同名のゼブラ的企業の活動拠点です。
ともすればスクリーンの前で一日中過ごしてしまいがちな現代っ子にとって、自然の中で学べることは計り知れません。日本にも「教室が窮屈ならば自然から学ぼう」という発想のもと、森林や山の中に位置するフリースクールはたくさんあります。ただ、Hill Holt Woodがユニークなのは、その14ヘクタール(東京ドーム3個分強)という敷地のスケールもさることながら、その活動や提供されるサービス内容のバラエティの豊かさです。
森林ウォーキングや木工ワークショップ・販売、森林セラピーといったいわゆる「森林らしい」ものから、自然に囲まれての学習塾、サステイナブルな家具や家の設計、各種レクチャー、セラピーやキャリアガイダンス、森のカフェ経営、果ては森林埋葬サービスなど盛りだくさん。そしてそれらのサービスすべてを「元無職」の若者たちによる森の管理・メンテナンスの仕事が支えています。
彼らのミッションは、「21世紀における古代の森の価値を証明すること」をベースに大きく4つ。
・森を人々が利用できる状態に保つこと
・若者が自分の能力を見つけられるようにサポートすること
・コミュニティにとって価値あるサービスや製品を作ること
・環境保護とサステイナビリティを促進すること
1995年にオーナー夫妻が購入した時には荒廃しきった森だったというHill Holt Woodは、どのようにして地元に愛される一大ゼブラ的施設になったのでしょうか。歴史と活動をご紹介します。
荒廃しきった森Hill Holt Woodを購入した生物学者
「初めは『NPO=非営利団体』としてスタートしました。でも私はその呼び方が嫌いです。私たちは当初から3つも『営利』を生み出していた。社会的、環境的、そして経済的な『営利』を」。
そう語る創始者のNigel Lowthrop氏は、元々世界を飛び回って様々なプロジェクトに携わる生物学者でした。南極、アフリカ、南アフリカなどを飛び回って生態系の調査をし、その後ビジネスにも携わるうちに、「環境保護はコミュニティが鍵になるのではないか」という考えに至ったといいます。
アイディアを実行に移すために、妻とともに地元の広大な古代の森Hill Holt Woodを購入しましたが、当時森は、侵入植物のツツジが生い茂り、水の循環システムも崩壊し、お金になるような木は前の所有者によって伐採しつくされ、荒廃しきっていたとのこと。まずはその森を管理・メンテするために、地域の議会やコミュニティメンバーに働きかけて有志による「委員会」を立ち上げ、実働部隊として当時地域にたむろして犯罪に手を染めることもあった無職の若者たちを雇いました。
そこから徐々に、「通常の」教育システムから外れてしまって家にいたもっと若い子どもたちにも活動が広がり、「教育施設」としての機能が強化されていったそうです。
他の事業はミッションと収入確保のために、コミュニティの力を得ながら徐々に拡張されていきました。
「成功はパッケージで測る」「社会的企業のカギは、得意なことで勝負すること」創始者の経営理念
Lowthrop氏はHill Holt Woodの意義をこう語ります。
「成功はお金だけでなく、パッケージで測ることが重要です。無職の人を迎え入れ、モチベーションの方向転換をすることでリンカン地区の若者の犯罪率を下げたか?地域の人々に無料で森を楽しめるようにしたか?といった指標です」
「私たちの森は、ファミリー層や高齢者、女性といった、普段なら好んで森に行かない人たちが来てくれる。それはここが無料で道案内や情報を提供し、だれもが安心して過ごせる雰囲気を作っているからです。私たちのスタッフもリンカン地区の道端で会えば怖いような、社会からドロップアウトした若者たちですが、ここの雰囲気の中でかまえずに出会えば、親切で、森を案内してくれるいい人たちだということが分かります」
「スタッフ視点でいえば、ここでの仕事で得られるのは給与だけではない。いわばQOLです。仕事環境や、仕事に関する裁量の大きさという意味で、ここは特別な場所です」
さらに社会的企業のポイントを、
「近年、政策の方向転換などにつれ、多くの営利企業も社会的・環境的に意識を高めていかなければという危機感を持っています。しかし彼らには限界がある。それは彼らの目的が結局は、ステークホルダーのポケットをお金で満たすことであるという点です。私たちはステークホルダーがいないし、欲しくもない。利益が出ればそれをビジネスに還元できる」
「社会的企業のカギは、得意なことで勝負すること。他よりもいいものを提供できなければ、意識高い系の営利企業が割り込んで来て駆逐されてしまう。私たちもビジネスをしているのだから、それは当然のことです。違いは、私たちは生み出した利益を社会に還元するためにやっているということだけ」
と主張しています。
「森の学校」から「森の土葬」まで、Hill Holt Woodのサービス内容
実際、日曜日限定でオープンしているカフェ「Hive Café」は、「お手頃な値段で極上のケーキが楽しめる穴場」として地元の人に愛されています。
Hill Holt Woodの幅広いサービスをざっと見てみましょう。
教育系サービス
・2~5歳の子どもたちに自然の中で様々な活動をさせる「子ぎつねクラブ」
・就学年齢の子どもたちを対象とした数学・英語・ITの授業
・キャリアカウンセリング
・本格的な就業支援を含む林業・建築業・園芸・ペットケアの研修
・地域の各学校と連携して森林活動体験提供、生態系授業
木材販売
・森林管理の副産物としての木材の販売(建築材・薪・木工品)
カフェ・バンケット
・日曜営業の「Hive Café」、結婚式やチームビルディングイベントへの貸し切り営業
森の土葬
・80ポンドの散骨用から、夫婦二人分で240ポンドの土葬用までの土地を購入できます。各種手続きとセレモニー、目印として植樹する苗も別途申し込み可。
森林ウォーキングイベント
・2018年から、森を含む地域全体を巻き込んで大規模なウォーキングイベントを例年行っています。
森林セラピー
・心身の健康向上のために、森の中で木工、林業、焚火料理などリラックス効果のある活動をするセラピーを提供しています。1日5時間で50ポンド、ホームドクターに推薦されれば保険適用の可能性があります。
サステイナブル設計・建築・造園業
・豊富な木材や自然を利用した建築・設計、森で研修を受けたスタッフによる出張造園業サービスなども提供しています。特に今後増加が見込まれる住宅ニーズや、建築にサステイナビリティを導入することの重要性をを鑑み、16歳以上の地域の無職の若者は誰でも1週間の無料サステイナブル建築研修を受けることができます。
見直される「自然に触れる」ことの意義
イギリスでは近年、ストレスフルな現代生活の中で心身のバランスをとる手段として、自然に触れることの意義が急速に見直されています。
2019年にシェトランド諸島の自治体が、自然とのふれあいを生活習慣病や精神疾患への治療として「処方」することを公的に法整備したことも記憶に新しいかもしれません。
日本では1982年に林野庁が提唱したということで、私たちにとっては若干古臭い感のある「shinrinyoku(森林浴)」という言葉も、ここ数年「zen(禅)」や「ikigai(生きがい)」とともにヨーロッパで市民権を得始めています。
自然環境のためにコミュニティの力で森を再生しようとした取り組みから始まり、現在「森林活動総合総社」とでもいえるようなバラエティ豊かなサービスに拡張したHill Holt Woodの発展の背景には、こういった自然の力への人々の期待の高まりもあったのかもしれません。
「21世紀における古代の森の価値を証明する」というミッションはすでに十分果たしたように見えるHill Holt Wood。今後はどんな森の可能性を見せてくれるのでしょうか。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)http://livit.media/
PROFILE
ウルセム幸子
3児の母、元学校勤務心理士。出産を機に幸福感の高い国民の作り方を探るため、夫の故郷オランダに移住。現在執筆、翻訳、日本語教育など言語系オールラウンダーとして奔走中。