2023.07.25 ZEBRAS

世界最古の小さな立憲共和国サンマリノ。「広げない・戦わない」で1700年歴史を紡ぐ国家は新しいビジネスモデルのお手本


世界最古の小さな立憲共和国サンマリノ。「広げない・戦わない」で1700年歴史を紡ぐ国家は新しいビジネスモデルのお手本のイメージ

イタリアの中にある独立国家

サンマリノ国旗(Image : wikipedia)

みなさんは、「サンマリノ」という国をご存じでしょうか。別名を「最も静謐な共和国(Serenissima Repubblica di San Marino)」ともいう、イタリアの中東部に位置し、世界で5番目に小さな国土を持つ、世界最古の立憲共和国です。国土面積は61km2強、人口は3万3500人程度ということなので、「千葉県の松戸市くらいの大きさだけど人口は15分の1程度」といえばなんとなくサイズ感がイメージできるでしょうか。

観光面ではその歴史や風土から、古い砦や城壁などを含む風光明媚さや国営で醸造しているワインなどが有名で、レアなサンマリノ入国スタンプの収集も兼ねてイタリア旅行のついでに立ち寄る旅行好きな人も少なくないとか。

サンマリノ(Image:unsplash)

今日お話ししたいのはそんな同国の、これからの時代のゼブラな私たちが恋してしまいそうなユニークな政治体制と歴史についてです。

少なくとも800年近く続く風通しスッカスカな政治体制

ごく最近同国の名前を目にしたことがある人は、もしかしたら「世界初のLGBTQ+の国家元首誕生」のニュースを読んだのかもしれません。Paolo Rondelli氏が国の立法機関である大評議会によって国家元首にあたる「執政」2人のうち1人に選ばれ、2022年4月より就任しました。

Paolo Rondelli氏(Wikipediaより)

では今同国には、クィアの国家元首がいるのか?といえば不正解で、同氏はすでに退任しています。

サンマリノの国家元首制度は少なくとも1243年から続く「キャプテンリージェント」制度で運用されており、国家元首である執政は相対する政党から一人ずつ選出された2人が就任。半年ごとに新しいペアに選出され直し、任期の終わった執政は国民からの評価を受けます。

平たく言えば国のリーダーはダブルヘッダーで半年ごとに入れ換え、サービス終了後には必ず利用者レビュー、といったところでしょうか。

我が国日本のリーダーも頻繁に入れ替わると評判(?)ですが、さすがに800年にわたり半年ごとに、しかもダブルヘッダーの元首が入れ替わるという体制はかなりレアといえるでしょう。しかもその執政はあくまで名誉職であり、権力も収入も高くありません。

この二重首長の体制は古代ローマの執政官に由来しているとされますが、現在でも「多くの人が執政になるチャンスがある」「癒着したり策略を練ったりして腐敗する時間がない」「政治的意見の違う二人も半年くらいならお互いに我慢して協力できる」「バランスをとれる」などの理由で国民に支持されています。

では同国の権力は誰が持っているのか?といえば、それは60名からなる大評議会。こちらは任期が少し長く、5年ごとに選挙で選出されます。しかしその60名も全て何らかの本職を持ったメンバーで、専門の政治家はいません。

つまり政治家が富と権力を持って一般国民と価値観が乖離したり、ましてや2世・3世の生まれた時から一般人の生活を知らない人が政治を司るということは同国ではまず起きないわけです。

(Image:unsplash)

逆の視点から見れば、コロコロ変わる、もしくは副業として政治を行う人たちに無責任に国の方針を任せきりにする国民は少ないと言っていいでしょう。パワーバランスが国民全員ほぼフラットな政治システムの中で、評議会や執政の選出も含め、「国民みんなで国を運営している」という一種の自治コミュニティ的な意識が国を1700年の歴史を超えて存続させているとのことです。

裁判官は外国人、最後の死刑執行は400年前?

サンマリノの社会制度には他にもユニークな点があります。小規模の民事裁判の治安判事を除き、司法は基本的に外国人に委ねられています。刑事裁判や大規模な民事の場合、「ほぼ国民全員が何らかの形で知り合い」の同国では公平性を保つのが困難なためです。つまり司法と政治の癒着も起きません。

サンマリノはまた、ベネズエラに次いで世界で2番目に死刑を廃止した国としても知られています。正式に法改正されたのは1863年。日本で1863年といえば新選組が結成されたり薩英戦争が起きたりしていた年なのでこれ自体も驚きですが、実はサンマリノで最後に執行された死刑は1468年(もしくは1667年)とされており、もともと数百年にわたり死刑自体を遠ざけてきた文化があります。

豊かな小国、切手は大切な収入源

さてここまでお話しすると「平和ながら質素な小国」というイメージもわきますが、国民一人当たりのGDPは世界15位と決して低くなく、イタリアの最も裕福な地域に匹敵します。

主な収入源は観光、金融、陶器や衣類などの製造業で、所得税・資産税が隣国イタリアなどと比べて格段に低くタックスヘイブンとして利用されてきた経緯から、現在外国人は市民権をとても得にくくなっています。また後述のように天然資源が少なく第一次産業もほとんどないため、食料などの生活必需品のほとんどをイタリアからの輸入に依存しているという弱点も。

ユニークな国家収入源は切手とコイン。こんなに小さな国でありながら独自の切手もユーロコインも発行しており、そのレアさから世界中のコレクターから人気があって貴重な収入源となっています。

サンマリノ50セント硬貨(欧州中央銀行公式サイトより)

「拡張」を選ばず山頂の城壁で平和を守ってきた1700年の歴史

さて、このようなユニークな社会システムを持つ小国サンマリノが、一方でたいへんに歴史の古い国であることはすでにお話ししました。また実はこのマイクロ国家、歴史的にみるとナポレオンを味方につけたり、アメリカ大統領リンカーンを名誉国民にしたりと色々とすごいことをしています。現在まで続く1700年の歴史をワンフレーズで表すと「独立と平和と自由」。

伝説によると、同国の建国は紀元301年。ローマ帝国出身の石工、聖マリヌス(Saint Marinus)が友人と二人で宗教的迫害を逃れてティターノ山に定住し、小さな教会を立てました。それがサンマリノの始まりとされています。その後1463年までに周辺のコミュニティがいくつか参加しましたが、それ以降国境は一切変わっていません。

10世紀ごろから国家を囲むように城壁や砦が建設されていきました。国境が定着した15世紀以降も隣接する領主などによってくり返し攻略が試みられましたが、ことごとく失敗・返還に終わっています。その理由は第一に同国の地理的な条件。国土は海抜55mから749mに広がっており、高価な鉱物資源なども一切ないため、軍事的な侵攻は「労多くして益少なし」でした。

確かに、攻略する気はあまり進まない地形です(Image:unsplash)

また、征服された場合ものちにこの共和国の独立心と自由な文化に共感したのちの権力者が独立を返還するケースが多く、現在に至る歴史の中で独立や、ましてや領土拡張のための戦争は一切していません。

1797年のナポレオン軍の進軍の際には一時的に独立が脅かされましたが、当時の執政の一人が共和国の自由と平和をを武器に国家ナポレオンからの尊敬と友情を得ることに成功し、国の自由を守りました。

ナポレオンはこの際に同国に領土拡張まで申し出ていますが、後の争いの原因となることや、領土を拡張することで他国が侵略するゲートウェイが出来てしまうことを防ぐため、辞退しています。自分たちが城壁の中での自由と平和を何よりも尊重してきた歴史があるため、他国を支配することに抵抗があったとの見方も。

2度の世界大戦でも同国は「中立・無関係」の立場を貫きました。第二次世界大戦中は中立国としてユダヤ人を中心に自国の人口の10倍以上にのぼる10万人以上の難民を受け入れたり、ドイツ軍に占領されたりと色々ありましたが、最終的に連合軍に救出されています(サンマリノの戦い)。

現在も同国の軍事力は非常に小さく、国防はイタリアに依存しています。ロシア・ウクライナ戦争中の2022年3月にロシアが発表した「非友好国リスト」にサンマリノが含まれていた際には、「なぜこんな(軍事的には)取るに足らぬ国をわざわざリストに含めた?」と混乱と注目を集めました(現在も理由は謎です)。

「成長」ってなんだろう

こうしてサンマリノのガバナンスと歴史を概観すると、近年機能不全に陥っている組織の「成長・拡張モデル」のアンチテーゼがカラフルに透けて見えます。

ユニークな政治システムに基づく、マネジメントの透明性と風通し。賢い分権のあり方。拡張を目指さず、自ら境界線を定義することで、内部の充実に集中して平和と自由を保つ方針。

中でも印象に残ったのは、独自の風土と文化・信念を貫くことで生まれる、組織としての存在意義でした。それが何度も独立を守り、レアな同国の生産品の経済価値も底上げしていることを鑑みると、「こんな国(企業)があってもいいじゃない」的な存在の価値が保証されるようで、ワクワクしないでしょうか。

成長ってなんだろう。

サンマリノは拡張も著しい経済成長もしていませんが、あるもので商売をし、国民の幸福と平和を守り、ユニークな存在として1700年の歴史を紡ぐ姿は、ある意味これからの組織の成長の姿を見せてくれている気もします。

文:ウルセム幸子

編集:岡徳之(Livit)http://livit.media/

PROFILE

ウルセム幸子

3児の母、元学校勤務心理士。出産を機に幸福感の高い国民の作り方を探るため、夫の故郷オランダに移住。現在執筆、翻訳、日本語教育など言語系オールラウンダーとして奔走中。