2024.10.23 ZEBRAS
ポケットに忍ばせるポリティカル消費のリマインダー。未来型財布ブランド「SECRID」(オランダ)


進む「カード化」
様々な情報のデジタル化にともなって進んでいる「カード化」。
情報処理の利便性や安全性のために、お金、免許証、各種会員証、ポイントカードなど、様々なものがICカードに代わり、さらにスマホに収容されています。思い返してみれば、私たちのお財布の中身は10年前とずいぶん違うのではないでしょうか。
「キャッシュレス国」オランダの国民的財布ブランド
筆者の暮らすオランダは特にキャッシュレス化が早く、私自身もここ10年程ほぼ現金を持ち歩いていません。
そんな国で国民的未来型お財布ともいえる製品をサステイナブルに作っているのが、複数のカードの安全な持ち運びと快適な利用に特化したブランド「SECRID」です。

同社がB-Corpであると知った時には「財布メーカーが社会的インパクトにこだわる必要ある?」と一瞬疑問に感じましたが、その背景には「SECRIDの財布が、意識的な消費行動のリマインダーとなるように」という意図が込められている(詳しくは後述)とのこと。
同社のサステイナビリティへの取り組みは、
・100%オランダ国内生産、最終組み立ては社会福祉作業所(後述)
・カーボンニュートラル(オフセットを含む)
・特殊技術による、生産過程で傷がついた部品の再利用(ゼロウェイストへの努力)
・消費者向けのメンテ情報発信・修理サービス(製品のライフサイクル向上)
・「1% For the Planet」への参加、また利益の1%を産業デザイナー支援プロジェクトに投資(サーキュラーデザイン、ゼブラ起業家へのサポート)
など多岐にわたっています。
本題に入る前に、愛用者として一言だけ触れたいのはその使い勝手。コンパクトなボディに5つの特許技術が詰まっていて、ノブを軽くクリックすると一瞬でシュッと収納してあるカードが全て見える形でスライドして出てきます。物をなくしやすく不器用で一日何回も「あのカードどこだっけ」と焦りながら財布やバッグのあちこちに指を入れては痛い思いをしていた私にはありがたい機能です。
また耐久性も高く、私は5年愛用していた同社のお財布をジーンズのポケットに入れたまま95℃の高温洗濯で3時間フルコースしてしまいましたが、まさかの無傷で出てきました(お勧めしませんが)。
閑話休題。この使いやすさとミニマムで機能的なデザイン、サステナへの取り組みが支持を得て、現在製品はオンラインのほか80カ国8,500店舗で販売中(修理ステーションを兼ねた店舗を含む)。年間200万ユニットが生産されているほか、各国で製品デザイン・サステイナビリティ関連の賞を多数受賞しています。
「より良い世界は、自分のポケットから始まる」
先ほども少し触れましたが、同社が財布ブランドでありながらサステイナビリティにこだわる理由は、同社の掲げる「産業進化の担い手になる」というミッションのためといいます。
「産業進化」とは、同社が「産業革命」のネクストステップとして不可避と考える経済システムの変革を表す造語。ここ数世紀人類が加速してきた「採って、使って、捨てる」リニアな消費文化から卒業し、資源や職人を大切に作ったものを長く使うことにより地球とのバランスのとれた消費活動にシフトするという、サステイナビリティに不可欠な「進化」を指しています。
同社は、産業革命以降の大量生産・消費文化は物質的に豊かな生活を可能にする一方で、社会的不平等、原材料の枯渇、環境汚染、生物多様性の減少、気候危機などももたらしたとし、「消費者自身が、環境負荷が少なく、寿命が長く、使う人にとってより深い意味を持つ、より良い製品を選ぶことでしか、この負のスパイラルに歯止めをかけることはできないのです」とその意図を述べています。
そしてモノを購入する際に必ず手に取る「お財布」をサステナにこだわって作ることで、消費者に「自分には世界を変える力がある」というメッセージを伝え、小さなお財布から大きなインパクトを生み出そうとした、とのこと。

サステナシフトのきっかけは経済危機。「あと3日で倒産」の危機も
同社の創業者は、現在ともに60代のMarianne van Sasse van Ysselt 氏とRené van Geer氏のカップル。なんと14歳と17歳の時に出会って付き合い始めた二人はともにデザインの道を歩み、1986年にデザインコンペで優勝したことをきっかけに起業に乗り出します。
1990年代半ば、様々なクライアントワークの中でヒットとなったのが、当時キャッシュレス化が進む中で国内の銀行から受注したカードホルダー。機能的でスタイリッシュ、ミニマリスト的なデザインが好評を博し、やがてユーザーのスキミングへの不安に対応するため、RFIDスキミング防止機能が備わりました。
「デザイナーとして、刹那的な世界を見てきた」と語る創始者がサステイナビリティに舵を切るきっかけになったのが、2008年の経済危機。デザインの注文は入らなくなり、ビジネスの拡張を受けて12人雇っていた従業員は3人にまで減り、自宅と私財の全ては銀行に差し押さえられ、時間だけが残されたといいます。
彼らはそれを、従来のカードホルダーを刷新する好機ととらえました。プラスチック製だった製品を、「(当時iPhoneがセンセーションを巻き起こしていた)Appleだったらどんなカードホルダーを作るか?」という発想のもと、金属と皮革ベースでデザインし直し、さらにマテリアル調達と生産ラインを、時代に逆行する形で安価な中国の工場への委託から「ローカル」に切り替えました。
「誰もが国内生産という選択を、頭がおかしいと思っていました」と後にVan Geer氏は語っています。しかし彼らは価格の低い海外の業者よりも、距離の近いサプライヤーと緊密な連携をすること、調達過程に汚染や不正のないマテリアルを使うこと、瀕死だったオランダの皮革産業を復活させること、雇用を創出すること、品質にこだわることなどに価値を置いたのです(ずっと後にコロナ禍で世界の物流が混乱した時も国内生産が功を奏しましたが、当時はもちろん予想だにしなかったでしょう)。
膨らんでいく借金の中、あと3日で税務署が倒産を通告に来る、というタイミングで同情したサプライヤーが融資を決めてくれてからも、すぐには黒字には転じませんでした。彼らは資金を全て新しいカードホルダーの製造に費やすという賭けに出たのです。
マーケティングに使える資金はなかったため、創業者カップルは「自信作です。使ってみてください」という手紙とともに信頼できる小売店に製品を郵送し、一週間後に電話して感想を聞き、気に入ってもらえたら販売を依頼するというアナログな手段に出ました。この方法で約半数の小売店は販売を決め、愛用者の支持を得てじわりじわりと販売・生産数を増やしていきました。
それでも2年間は常に倒産と隣り合わせで、「いけるかどうか、何年もドキドキだった」とVan Geer氏は振り返ります。実際、同社が年間2000万ユーロの売り上げと借金完済を高らかに宣言したのは、今からたった2年前の2022年のことでした。

「小さい」を選んだ結果「大きく」なったビジネス
こうした紆余曲折を経て現在大手ブランドとなったSECRIDには、当然WalmartやAmazonなどのリテールの巨人も興味を示しているとの噂が絶えません。
しかし彼らは「大手販売店が発する『モノを買って!』というメッセージがそもそも、(消費主義を変革するという)ブランドポリシーに合致しない」として、「大きな物流業者ではなく、正しい姿勢を持っているエージェントに売ってもらいたい」と、アンバサダーとしての小売業者とともにブランディングをしていく方針を一貫しています(日本での代理店は株式会社元林)。
結果として愛用者が増えてビジネスが大きくなったという現象をVan Sasse van Ysselt氏は「『小さい』を選んできたことが、計画に反して『大きい』ビジネスにつながった」と表現しています。
同様の理由で株式の上場もしていません。現在、創業者夫婦の子ども3人を含む約140人が「家族経営」に携わっており、この独立性を手放す予定はないとのことです。
将来は「日本で生産」の可能性も?
さて、お話ししてきたように「ローカル生産」にこだわってきたSECRIDですが、先述のとおり現在は世界各国で販売されています。
Van Geer氏は7年前のインタビューで、「こんなに世界各国で販売しているのだから、オランダ国内製造はもはや『現地生産』と呼べないのでは?」と矛盾を突かれて、「もちろん私は愛国心でオランダ生産にこだわっているわけではありません」と、あくまでサステナ的な狙いと利便性で現地生産を選択していることを明言しています。
そして同時にアジア市場が拡張していることにも触れ、「しかし(アジア現地生産の可能性があるとすれば)中国よりも日本のような高品質にこだわる国の方が可能性が高いでしょう」とコメントしています。
それが実現すれば日蘭のクラフトマンシップのコラボレーションが生まれることになります。個人的には和柄の日本製SECRID財布が発売されたら絶対にほしい、などと空想してしまいますが…。さて、どうなるでしょうか。
文:ウルセム幸子
編集:岡徳之(Livit)http://livit.media/

PROFILE
ウルセム幸子
3児の母、元学校勤務心理士。出産を機に幸福感の高い国民の作り方を探るため、夫の故郷オランダに移住。現在執筆、翻訳、日本語教育など言語系オールラウンダーとして奔走中。